ちょっと早めに更新。
今日から3連休。いいお天気なので早起きして洗濯を済ませ…二度寝…(ダメじゃん;;)。
夕方からの約束まで時間があったので、写真の整理とかいろいろ。
そして…。
父のこと。
ずっと考えていました。ここに書こうか書くまいか。
ダークな話になってしまうので、書くことは控えようかとも思いましたが、このブログを始めて2年半、それまで日記など付けたことの無かった私が、日々感じた事をだらだらと書き連ねていくうちに、書く事でなんとなく気持ちの整理が出来るようになっている事に気が付きました。
しかし、webで公開している以上は私的なものでは無いわけで…。気持ちが変わったら削除するかもしれませんが、今は避けて通れないと思っていますので書きます。
先日父が他界しました。
アルツハイマー型痴呆でした。
5年程前から俗に言うボケが始まり、実家の兄から話は聞いていましたが、実際に会っていなかった私はどの程度のボケなのか全く理解していませんでした。3年程前、母がその父を連れて私のところに遊びに来たのですが、来る前に「父さんが来るのはこれが最後になるかもしれないから」と言っていた意味が、迎えに行った空港で父の姿を見た瞬間にはっきりと分かりました。
そして、その後、日々の生活に追われ父を見舞うこともしなかった私がやっと会いに行ったのは、亡くなる一ヶ月前でした。もう話すことはもちろん笑うことも自力で食事を捕ることも排泄することも出来なくなっていた父。その父が私の「とうさん」という呼びかけに反応し、声を上げて笑ったのでした。「とうさん、帰るよ。また来るからね。」と父の手を握ると、しっかりと握り返し淋しそうな瞳でじっと私を見詰めていました。
また必ず来よう。声を掛けてあげよう。手を握ってあげよう。そう心に誓って福岡に帰りましたが、その一ヵ月後に風邪による肺炎から急逝しました。
葬儀も終わり、父の引き出しの中を整理している時、一冊の小さな手帳を見つけました。ページを捲ると、懐かしい父の字で自分の住所と名前が何ページも書かれていました。その字がだんだん力の無いものになって行き、ある時から「カタヅケ サンポ」というカタカナに。
父は自分が痴呆だと知っていたのでしょうか。多分知っていたのでしょう。だんだんとボケて行く自分。どんなにか不安で辛かったことだろう。どんなふうに受け止めていたんだろう。
そして。
その父と共に暮らしていた、母と兄夫婦。その子供達。
思えば思うほどに、何も出来なかった自分が悔やまれます。母を勇気付けることも、兄夫婦の手助けをする事も出来なかった私。
最後に会ったとき、私の事を分かってくれたと信じたい自分。それは自分のため。会いに行けなかった自分への言い訳。
本当に自分勝手。
やはり考えはまとまりません。
投稿者 chobi : October 15, 2006 03:56 PM…自分勝手というのではないと思います
娘の事を分かってくれたと思うのはお父様のためでもあるのではないかな?
こうして、毎日お父様の事を思い出してあげることも大切な仕事なのかもしれないですね。。
昨年末から今年の初めは雪が多かったですが、
子どもの頃から雪かきを手伝わなかったこと、
故郷を遠く離れて、今も何も手助けしていないことなど、
雪の降る間中、呵責にさいなまれていました。
それと、祖母も、最後は痴呆状態でした。
chobiさんと境遇は違うのだけれど、身につまされます。
(決して同じ気持ちに寄り添うことはできようがないのだけど・・)
自分もいつか、そんな思いに責められるときが来るの
だろうと、実はもうずいぶん前から、予感しては
いるのです。
chobiさん。
本当につらいことがあったのですね。
なんと云えばいいのか・・すみません。
私は大好きだった祖母を亡くした時、何年か引きづりました。
私も両親と離れているので、考えてしました。
時間がchobiさんの気持ちを、
とかしてくれることを心から祈ります。
最後にお父さんに声が届いて本当によかったです。
>・・・・・さん
そうですね…。
自分でもよくわかりません。
こうして思い出しながら、時が経って昇華していくのかも知れません。
>Keiさん
予感…わかります。
わたしは後悔するのではないかという気持ちが心の中にずっとあったので、今もそこから抜け出せないのだと思います。
痴呆症の介護というのは、本当に大変だと思います。いえ、どんな病気でも、それを見守る家族は大変なんでしょうね。
>zonoさん
いえ、こちらこそ重い話になってしまってすみません。
時が経てば、だんだんと気持ちも変わっていくのかも知れません。
以前、zonoさんのブログでおばあちゃんのお話がありましたよね。
あの記事を読んで、ああ、ほんとにおばあちゃんが大好きだったんだなーって感じたのを思い出しました。
私もそんなふうに父を想いたいです。