懐かしい玄関。進学して家を離れるまで、毎日見た朝日。
晴れ。変わらない日常に戻る。
身近な人を亡くしたとき涙が零れるのは、悲しいからとか淋しいからとか可哀想だからとか、そんな理由では無いんだな。ああするべきだったんじゃ無いかとか、こうしてやればよかったとか。出来なかった自分に対する後悔の涙。私自身の為に泣いてるのか。結局、自分中心なんだな。
with Holly Brook / Giving It Up For You
自分が中学生のとき、母親が、生死は五分五分という
病に倒れたのですが、そのときにも同じようなことを
考えました。母がもし助からなかったら、とか、そういう
心配をしているのは、母のためを思ってじゃなくて、
結局は取り残されていく自分を心配しているだけじゃ
ないのかって。
でもね、chobiさん、悲しみとはそういうものなんでは
ないでしょうか。本当にその人のことを思いたくても、
どんなに思っても、届かない。だから、人はつい、
自分を責めるかのように、そんな風に思ってしまう
のではないでしょうか。
本当に相手を思うからこそ、そんな風に感じてしまう
のではないでしょうか。
>Keiさん
その後、お母様はお元気でお過ごしでしょうか。
考えがまとまりません。
もう少し考えてみます。
chobiさん、おかげさまでうちの母親は、その後は
何もなく今も元気にしております。
(でも、自分自身も含めて、いつどうなるかわからない
ですね。先日は年齢の近い同僚が逝きました)
あれこれ書き込んでごめんなさい。
私は私で、しばらくは植物園で見たオニグルミの
木の葉の間からのぞいていた空の色を思っております。
>Keiさん
お母様、お元気で何よりです(^^)。
こちらこそ、ごめんなさい、中途半端なレスで。。。
Keiさんが真剣にコメントを下さっていることは、
その文面でよく分かりますので、
いい加減にお答えしたく無かったのです。
すみません…。
身近な人の死というのは、
静かに大きく心を揺らしますね。