雨にぬれる紫陽花。
薄紅色から若草色に変わる途中なのか、若草色が紅く色付いたのか。
お盆があけて風に秋の気配を感じる。
物事にはいつもタイミングというものがあって、それが合わないと歯車はうまく回らないと思う。ぴったりと合えば自分の意思とは関係なく面白いように回りだす。そんなものだよね。
という話をもう随分前に友人と話したことがあって、その友人は自分からタイミングを合わせに行くタイプ、私はじっとその時が来るのを待つタイプ(笑)。正反対過ぎて笑ってしまったけど、だから気が合うのかもね。
梅雨の頃のある日、お休みだった娘が「私も写真撮りたい!」と言うので、私はLX、娘はME、同じフィルムを詰めて行き先も決めずに家を出た。すぐにポツポツと雨が降り始めたので、雨→紫陽花という単純な発想で筥崎宮へ。
紫陽花はちょうど見頃だった。
写真を撮る娘の後姿を眺めながら、母のことを思い出した。
母の通夜の前の夜、兄とふたり、母の部屋の古いアルバムを引っ張り出して見ていた。斎場の方から、読経が始まるまでの間、母の写真をスライドショーで流すので10枚くらい選んで持って来て下さいと言われたからだ。いまどきはそうなんだね。
しかし、たくさんあるアルバムの中で、母の写っている写真がとても少ない事に気がついた。写っていても隅のほうに遠慮がちに小さく写っているだけで、他はおそらく母が撮っていたと思われる写真ばかり。
その時まで改めて考えた事が無かったけれど、母は写真を撮るのが好きだったのかも知れない。
今も我が家のリビングに飾ってある、20年以上前の写真。
まだオムツ(正しくはトレーニングパンツ。笑)をしている息子と、セーラームーンの人形を抱いている娘。
これも、母が遊びに来た時に撮ってくれたものだ。ずっと使っていたカメラが壊れちゃったから、奮発して新しいの買ったのと嬉しそうにPENTAXのコンパクトカメラを見せてくれた。
そのカメラがテレビの横の引き出しに入っていた。7年間入れっぱなしだったからケースは埃だらけだったけど、電源を入れてみるとちゃんと動く。大事にしていた時計や裁縫道具と一緒に持って帰ってきた。
母の部屋にあった古いアルバムに貼られた、兄や私の写真。
あの頃母は何を思いながらカメラを構えていたんだろう。